コピーバンドは、コピーするな。
同僚のバンドのライブに行ってきた。
イベントは、複数のバンドが交互に入れ替わり、それぞれ20分程度の持ち時間で4曲くらいずつ演奏していくトリビュートライブである。
同僚の出番まですこしばかり時間があったので、目当てではないバンドの演奏も聴いてみることにした。
出演バンドの多くはコピーバンドであった。その名のごとく、誰もが知っている有名な曲ないしはバンドを真似て、演奏しているわけだが、彼らの演奏を聴いて思ったことがある。
それは、他人の真似事では観客を感動させることはとても難しいということ。
歌もうまいし、曲ももちろんかっこいい。だけど、飽きるのだ。例えるなら、聞き飽きたCDを部屋で流している感覚。聴いている分には、不快ではない。むしろ、気分はいいのだが、他のことが頭に浮かんできてしまい、舞台に集中出来ないのだ。
だが、コピーバンドの中にもオリジナルの曲を持っているバンドもある。それらは、一概に素晴らしいクオリティを保っているとは言い難いものもあるが、興味を持って舞台に視線を集中させることが出来る。そして、彼らを応援したいという気持ちになるのである。
真似をすることは悪いことではないし、先人の知恵を知ることはとても有意義なことだ。しかし、コピーすることで止まってしまっては自分は満足するかもしれないが、他者を満足させることは難しいということを今日は学んだ。
想像力と創造力がほしい。
タスク消化マシーンになってみた
僕は、毎日働くのが嫌だ嫌だと思いながら働いている。
せっかく自分の世界という絶対的自由の夢想空間の中で(勤務中に)耽っている時なのに、そんなときに限って「予想外のタスク」が突然降ってきて、思考が中断される。
自分にとってそれはとてつもないストレスなのだ。
本当は、一日中何も考えずにボーッとしていたいのだ。
だけどそんなことは、外部が許してくれない。
そうやって悩んでいる間にも、終わらせなければならない大量のタスクは溜まる一方である。しかし、タスクが増えれば増えるほど、自分の気持ちいいことをしたくなるのが僕の性である。コンビニにふらっと行ったり、ごはんを食べに行ったり、ネットサーフィンをしたり…。
そうして気持ち良く自席に戻ると、いつの間にか新しいタスクが増えている。以下、無限ループ。
そこで、僕は考えた。自分にはご褒美が足りないんだと。どんなに小さなことでよいから、何か行動をしたら、ご褒美をあげようという思いが浮かんだ。
普段、僕はワンダーリストというアプリをmacに入れている。そこに、本当に細かく細かく次の行動を記載していくのだ。例えば、コピーをとる、誰々さんにメールを出す、誰々さんに連絡をとるなど。普通の人じゃ当たり前すぎる行動にもつける。例えば、お風呂にはいる、歯磨きをする、服を脱ぐなどである。
そのように自分の行動を管理するようになって、少しずつ変化を感じた。そして、あることに気づいたのである。
それは、「何も考えなくなった」。
そう、何も余計なことを考えなくなったのである。自分の行動は全てタスク化されているため、次はなにしよっかな〜とか考えないのだ。ある行動が終われば、タスク表を見て次の行動にすぐ移す。そうしていると、あっという間に1日が終わるのである。
これまで究極の怠け者だった自分がなぜそのように次の行動にすぐ移れるようになったのか。それは、タスクを消していく快感を感じていることが理由の一つに挙げられる。タスクが終わると、チェックリストに記しを入れる。すると、チーンという軽快な音に合わせてタスクリストが一つ減るのだ。その達成感は、たとえお風呂にはいったというような軽いものでもある程度の快感を得ることができる。それが、10こ20こと続くと、それなりに楽しくなってくるのだ。
もう一つの理由は、怒られたり催促される頻度が減って有益だと本能的に感じているのも続けられているポイントだ。当然だが、やれと言われていることをやらないままにしておくと怒られる。しかし、重要なものもそうでないものもまとめてリスト化しているので、一応手はつけることになる。なので、たとえ催促されたとしてもそのあと怒られる可能性はぐっとさがるのだ。
このような習慣を初めてまだ時間が経っていないので、見つけ出せていないメリットがあると思うが、ざっとこんな感じだ。
あ、あとメリットとしては、病的な眠気に襲われることが少なくなった。以前は、どんなときでもどこでも異常に眠すぎて病気かと本気で思っていて、それなりに悩んでいた。だが、次にやることが明確になると自然と日中の眠気は抑えられるようになったのである。不思議だ。とはいえ、家に帰っちゃうとバタンキューしてしまうのだが。
タスク消化マシーンになって、気づいたことがひとつある。それは、行動すると世界が少しだけ少しだけ変わって見えてくるということだ。今までは、自分の置かれた不幸な状況をなげき、そこから脱出することばかり考えて、何かを行動に移したり、アウトプットするということが少なかった。だが、タスク=アウトプットなので、行動することになる。行動した後の世界がどう違うのかといえば、うまく説明出来ないが、違う世界なのである。ある種の自信のような自己肯定感をなんとなく感じることができる。
1日坊主の自分にとっては、一週間くらい続いている脅威の記録なので、これからもタスク消化マシーンになって何も考えずに早くくたばれるように頑張りたいと思う。
エロゲをやってみて思ったこと
あるセミナーに参加するために秋葉原まで出向いた。
しかし、時間になっても会場には誰もおらず、どうやら間違えてしまったようなので主催者に確認メールを打って秋葉原を散策することにした。
ふらふらと歩いていると、なぜか無性にエロゲがやりたくなってきた。
今まで、しっかりとしたパッケージのエロゲなんて買ったことすらなかったのに、本当に突然そのような衝動にかられた。
そんな勢いに任せて、ソフマップへ。
エロゲコーナーで、『リトルバスターズ』(中古500円)、『恋姫無双』(中古1980円)を購入。
さっそく、家に帰ってプレイ。
その結果。
飽きる。。。リトバスは、まあ物語になんとなく入り込める気がするけど、恋姫無双のほうは、とてつもなく退屈。。
なぜ、退屈なのかを考えてみると、そもそもエロゲというコンテンツ自体、自分には向いてないんじゃないかと思った。
つまり、どういうことかと言うと、エロゲというものは、基本的に音声付きの紙芝居である。
紙芝居とは、それを物量的に発展させると絵本だったりラノベだったりになる。
ぼくは、小学生の頃から小説というものが苦手だった。
中学受験の時も、説明文の得点は高いのに、どうしても物語文が好きになれず点数を伸ばすことが出来なかった。
大学生になってからも、頑張っていろいろな小説に手を出してみたが、どうもしっくりこない。
江戸川乱歩や筒井康隆などの短編集みたいなものは、気軽に読めるので好きだが、何百ーページもあるような物語には途中で飽きてしまうのだ。
読んでいる最中に、どうしても無駄な時間を過ごしている感覚に襲われ、集中することが出来ない。
仮に読み終わったとしても、読了後は罪悪感にも似た感覚になるのである。
冷静に考えてみれば、そんな自分がエロゲをプレイするなど無謀すぎた。
実際に本格的にプレイするまで、エロゲがあんなにどーーでもいいような日常シーンに膨大なテキストを読ませるようなものだとは知らなかった。(とりあえずリトバスは評判がいいし、まだ飽きていないので頑張って少しずつやってみる)
とまあ、自分には合わず、趣味には出来そうにない、ということが体験することでわかって良かった。
今回の教訓は、実際にやってみるまでわからんよねってこと。
大きな目標が見えないとき
現在のところ、僕には将来的に成し遂げたい具体的な大きな目標というものが無い。
最終的なゴールが見えていない人間が日々の退屈な仕事に忙殺されると、やる気も気力も全てどこかに消えてしまい、体力も不思議と落ちてくる。
どうしたら良いのか考えた結果、「バタフライエフェクト」というキーワードが頭に浮かんだ。
バタフライエフェクトとは、小さな蝶がきっかけとなり、結果的にとてつもない大きな竜巻を発生させる原因となるという理論である。
日々の小さな目標の達成が何かのきっかけとなり、今は気付かなくてもいずれは大きな何かを成し遂げるトリガーになるのではないかと考えた。
昔の記憶を辿ってみると、大学の学部を選んだ一番初めのきっかけは、それとは全く関係のない出来事だったのではないかと思う。
そのように考え、あまり先のことを考えずに小さな目標を達成することで毎日に少し色が付いたような気がした。
そして、自分から出せるアウトプットの量も増えた気がする。
これが1年後、何かの役に立つと信じて、小さなタスクをこなしていこうと思う。
もちろん、先々の方向性を決めるというタスクを入れる必要もあるが、それは歩きながら考えていこうと思う。
【映画批評】『LOOPER』【第2回目】
huluで何となく観た映画が面白かったので紹介。
タイムリープものの映画のなかでは、かなり好きな部類だった。
ストーリーもわかりやすく、ある程度綺麗に完結しているように思う。
しかし、気に入らない点が2点。
それは、主人公の顔がマネキンみたいで気持ち悪いという点と、主人公の30年後のブルースウィルスがどう見ても全く似ていない(せめて骨格くらい似せろよ。。。)という点だ。
おそらく、ブルースウィルスの配役は大人の事情的な理由がありそうだが、あまりに似ていないのでイマイチ物語の辻褄まで合っていないような感じがしてきて、非常にもったいないと思う。
たまにテレビでやってたら、ついついみちゃうかなという映画だった。
週末の過ごし方
今週は、土日二日間、ずっと寝ていた。
とてつもなく先週疲れていたわけではないけど、このところ1日寝る日というのがあまり無かったので、久しぶりに試してみたくなった。
1日ずっと横になっていると、様々な記憶や思いが心に浮かんでくる。
中学高校時代にもこんなふうにぼけーっと1日布団のなかで過ごしたことや、考えごとをするときはこうしていたなあとか。
思い返してみれば、これまでの人生の大半を布団と暗闇のなかで過ごして来たような気がする。
それを後悔しているかと問われれば、別にそんなことなくて、確かに頑張って他の道に進むことは出来たかもしれないけど、自分にとっては必然な過ごし方だったのかなと思う。
自分の堕落した性格は、基本的にはもう完全には変えられない気がするし、変えたいとも強く思わない。
ただ、こういう生活がいつまでも続けばなあなんて本気で思ってるあたり、本当にニートの一歩手前まで来てしまっている感じだ。
でも、自分は寝っころがりながら、映画とかアニメをなんとなく見て、気が向いたら外を散歩するなんてことが幸せなんだなとこの二日間を通してわかった。
願望としては、こんな過ごし方を週末の2日間だけじゃなくて、毎日にしたいので、どう実現するかを考えながら明日も頑張っていきたい。